ゆく年くる年

「ゆく年くる年」っていう番組は、未だに放送されているみたいですが、
子どもの頃、除夜の鐘の前に何故こんな暗い番組が流れるのか、
不思議に思っていました。

厳かな気持ちで新年を迎えましょう、ってことなんでしょうが、
中二の頃に患った中二病が未だに完治していないイダログにとっては、
「良いお年を」とか「あけましておめでとうございます」みたいな月並みな挨拶なんて、
口が裂けても言ってやるもんか!みたいな心意気だけは忘れないようにしてるんですが、
人前に出ると、何故か直立不動で「良いお年をお迎え下さい!」とか、
オトナのフリをした別人格がつい口走ってしまいます。

12月31日から1月1日に変わる時って、
365日かけてやっと一番下まで降りてきたのに、
翌日にはまた一番上まで、365日分一気に駆け上がるような錯覚に陥ります。

3月31日から4月1日への時とか、(会社の事業年度の)6月30日から7月1日への時には、
もっと大きな変化が生じているはずなのに、体感時間は一日分しか感じられません。
年末年始に限って、時間の切り替えが大袈裟に感じられるのは、
12月31日で終了するカレンダーのせいなのか、
妖精が大きな機械を動かして年を切り替えてる妄想のせいなのか。

カレンダーは年の途中で買い足そうとすると、1月始まりが売ってないことがあります。
そんな理由で、4月始まりのカレンダーが家の中に一か所だけあったんですが、
一旦4月始まりを使いだすと、ひとつだけ途中で買い替えなければならず、
継続するのが結構面倒です。
結局、年末のタイミングでまた1月始まりに買い替えるはめになるんですが、
なんなら1月始まりのカレンダーを、
2月以降も毎月10%ずつ値引きして売り続けくれると、
カレンダー屋さんも無駄に品種を増やさなくても良いような気がしますが、ダメでしょうか。

例年、地元の豆腐料理の老舗におせち料理を頼んでるんですが、
料理は申し分ないものの、一つだけ困るのが、
手作りのカレンダーがオマケにくっついてくることです。

多分、大女将のような人がいて、
一つ一つ心を込めて手書き(絵と川柳みたいな言葉が添えてあります)されているんでしょうが、
バンクシーが手書きしてくれたのなら有難いんですが、
一般人が、一つ一つ心を込めて手書きした作品だと、ある意味バンクシー以上に始末に困ります。

おせちを受け取りに行った際、思い切って「いりません!」って言えたらいいんですが、
若い店員さんが、大女将が一つ一つ心を込めて手書きした作品を、
「さっきのお客さん、いらないそうです…」などと悲しそうに持ち帰る姿を想像しただけで、
正月早々後ろめたい気持ちになり、とても口に出して言えません。

だからと言って、大女将が一つ一つ心を込めて手書きした作品を、
そのままゴミ箱に直行させるわけにもいかず、ほとぼりが冷めるまで、
大女将が一つ一つ心を込めて手書きした作品は、納戸の奥で冬眠することになります。

春になれば、さすがに魂も抜けるんじゃないかって判断で、結局は捨ててしまうんですが、
最初から「限られた資源を保護するため、今年から結構です!」って宣言した方が、
地球環境とグレタさんには喜んでもらえるんじゃないかなとか、
SDGsを今年の抱負にしているイダログはちょっとだけ心が痛みます。

ちなみに、おせちに入っている殻付きの海老って、
ほとんどの人は、指が醤油臭くなるからできれば剥きたくないな、
って思ってるんじゃないでしょうか。
この問題を解決できたら、海老のうま煮の需要はもっと上がると思うんですが。

水墨画みたいな荘厳な絵柄のカレンダーも企業間では定番ですが、
紅白の演歌歌手みたいに、実際の需要は少ないような気がします。

あっ、そう言えば今年に入ってから、
Apple Musicでやたらと北島三郎先生の姿をお見かけすると思っていたら、
どうやら1月1日から全曲がストリーミングで解禁になったらしいんです。
紅白を卒業した北島先生が、エド・シーランなんかと同じ画面に現れるところを見ると、
意外と一定の需要はあるんでしょうね。

日めくりカレンダーは、今でも必要とされているんでしょうか。
まだ平社員だった頃、ある部署のカレンダーが日めくりだったんですが、
始業時間までに当日の日付になっていないと、朝から部長がご機嫌斜めでした。
オフィスの全員が毎日一枚の日めくりを注視していた不気味な職場環境がトラウマになっていて、
いまだに日めくりには抵抗があります。

と言うことで、今年も他愛ない話にお付き合いいただけるとありがたいです。

あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いします。

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