神は細部に宿る

以前紹介した、Amazonオリジナルの「エクスパンス」というドラマはとても細部に拘っていて、
例えば、無重力状態で人が死んでいくシーンでは、
度々涙を使って印象的なシーンを作り出しています。

ある時は頬を伝うことなく小さな宝石のように虚空を舞ったり、
またある時は逆に瞳から零れ出ることなく、
瞳の中にじわっと溜まっていく様が描写されたりと、
本編とは関係のない、ほんの些細なシーンで異常な拘りを見せてくれます。

無駄なシーンかと言うと、むしろ涙が演技しているみたいに見えて、
ついつい見入ってしまいます。

そう、神は細部に宿るってヤツですね。

だからと言って、神様が至る所に宿れば良いってもんじゃないんですが、
映画を見ていると、些細な問題が気になることがあります。

鑑賞の邪魔をするほどではないんですが、
どうでも良いことが頭の奥底をちらっとよぎって行くことがあります。

例えば、登場人物が煙草を吸うシーンです。

中でも見ていて居心地が悪くなるのが、若い頃は気にならなかった吸い殻のポイ捨てです。

現実の場面でポイ捨てに出くわすと無性に腹が立ちます(もちろん怖くて注意なんかできません。)が、
映画の中でも主人公にポイ捨てとかされると、胸の中にモヤモヤした煙が立ち込めてきます。

だからと言って細部に拘りすぎて、
ヒーローがいちいち携帯灰皿なんか使ってると逆に鑑賞の妨げですよね。

村上春樹さんの小説の中にもポイ捨て描写があり、
初版では実際の街の名前が使われていたそうなんですが、
改訂版で架空の街に変更したっていう話を聞いたことがあります。

ウチの街の住民はポイ捨てしません!っていうクレームが原因らしいんですが、
演出上必要な描写と、道徳感の変化とのジレンマって結構あるんでしょうね。

年を取ったからだと思うんですが、
モブキャラが安易に殺されるシーンにも最近は抵抗を感じるようになりました。

スタローンやシュワルツェネッガーが、マシンガンで敵を皆殺しにしていた時代とは違い、
事情も知らず黒幕に操られているだけのモブの警察官がヒーローから殺されたりすると、
こいつら新卒で普通に入社してきただけなのに、
家族にはどんな連絡がいくんだろう、などとつい余計なことを考えてしまいます。

「残念ですが、お父さんはバットマンに殺されました。
本当は黒幕のジョーカーのせいなんですよ」とか言われたって簡単に納得できませんよね。

殺さなくても、拳銃の台尻で殴って失神させたら如何?って言いたくなりますが、
実際は、後頭部を殴って失神させると、そのまま死んじゃうことが多いんだそうです。

ワンピースでは、どんなに大きな戦いでも滅多に人が死にませんが、
たぶん尾田先生も同じ気持ちなんじゃないでしょうか。

そんなどうでも良い細部への拘りの中でもとりわけ気になっているのが、
ヒーローやヒロインのトイレ事情です。

密室モノとか、自然災害モノなんかはもとより、
普通のヒーローアクション映画なんかでも、
トイレはどうしてんの?っていう疑問が常に頭の隅の方に燻っています。

ハイジャックものなんかだと、多分私は一番最初にトイレが我慢できなくなって、
犯人に撃ち殺されるんじゃかと思っています。

イーサン・ハントは、ミッションの前には一応トイレを済ましておくんでしょうか。

もちろん、映画の中でもトイレに立つシーンはあるんですが、
そんな時のトイレは本来の目的で使われることはありあません。
隠していた銃を便器の裏から取り出し、席に戻るやいなや相手の眉間に鉛の弾を打ち込んだり、
逆に本当にトイレが目的だったのに、中に殺し屋が待ってて格闘になったり、
それこそ我慢しながら戦ってるんじゃないか、とか余計な心配をしてしまいます。

ところが、長年の胸のつかえを解消してくれるようなシーンが、
「エクスパンス」の中で見られました。
さすがは、細部に拘った作品だなって感心したんですが、
いざ見てみると、そんなとこまで描かなくてもよくない?って気にもなります。

準主役の男女が、小惑星の落下で荒廃した土地をバイクで走破する途中、
背中合わせでオシッコをするシーンがあるんですが、
一度見れば、もうそれで納得ですね。

他の映画でもきっと同じような場面が、
カメラに映っていないところで起こってるんだろうなって思うと、
これからは安心して映画が見られるような気がしています。

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