気遣い、気疲れ

東京や大阪のような、人の多い土地に出張すると、仕事をする前に人混みに揉まれただけで気疲れしてしまいます。

福岡のような地方都市でも、ターミナル駅や商業施設では同じです。

皆さんは、人混みの中で相手とぶつからないように歩くために、どんなことを心掛けていますか。

そう、特に考えてませんよね。普通はそうなんです。

ところが私の場合、地下道なんかで前から人が歩いて来たら、どのタイミングで、どっちの方向に進路を変更したら正面衝突を避けられるか、絶えず相手の行動を予測しながら行動してしまいます。

ほんのちょっとした視線の方向を察知し、ぶつからない方向に自然に進路を修正しようとするんですが、何故か、相手も同じ方向に進路を変え、結局はぶつかりそうになり、お見合いしてしまうことが多々あります。

ああいう時って、相手と気が合うって言うべきなんでしょうか、気が合わないって言うべきなんでしょうか。

こんなことを何度も繰り返しながら雑踏の中を歩いているから、普通の人以上に気疲れするんでしょうね。

人と交差する時も同じです。
相手の歩行速度を瞬時に計算し、できるだけ自然に交差できるように自分の歩行速度を調整します。

私の長年の研究によると、交差する時、80%の女性は自分からは避けようとしません。
鼻先数センチの差で行き交っても平気な顔をしています。
多分、私に存在感がないから、直前を横切っても気にならないんだと思います。

妻と外出する時は、後ろからノコノコついていくことが多いんですが、エスカレーターに乗る際、何故か前を歩く妻との間に赤の他人が入り込むことがよくあります。

何を言いたいかおわかりと思いますが、エスカレーターを降りて、次の階へ向かうエスカレーターに乗る際、降りた階のお客さんと合流しますよね。
その時、高速道路の合流地点みたいに、つい歩行速度を調整し、譲り合いの精神を発揮してしまうんです。

入り込んだ人の前を行く妻が、またかよ、って顔で振り返ることがよくあります。

マイペースに見られがちなんですが、実際は世界中の人々に気を遣って生きているものですから、外出すると、ドッと疲れしてしまいます。

先日、幼い子どもが気遣いを学ぶ瞬間に立ち会いました。

3歳の孫は絵本を読んでもらうのが大好きで、私もよくねだられますが、母親(私の娘)の方は、売れない芸人並みにモノマネが上手で、絵本の中の登場人物を変幻自在に演じて読み聞かせることができます。

一方、父親(婿君)の方は、ローカル局のニュースキャスターみたいに真面目一辺倒で読み上げます。
正直な孫が、思わず「パパ、下手だね・・・」と口走ったところ、根が善人な婿君はマジでショックを受けたらしく、関西人のくせにボケをかますこともなく、「パパは、一生懸命読んであげているのに、そんなことを言われたら悲しくなっちゃうよ」と3歳児に対し、真正面から切り返していました。

平素は、タラちゃん並みに空気の読めない孫も、さすがに不穏な空気を感じとったらしく、それ以降は「パパ、上手だね」と変な気を遣いだしてしまい、よけい気まずい空気に包まれていました。

思わぬ出来事で、大人の階段をまた一つ上った3歳児ですが、食欲に関しては一切の気遣いがなく、自我が丸出しです。

朝食の食卓で自分の分のぶどうパンを平らげた孫は、婿君の手に握られたぶどうパンに狙いをつけ「それ食べたい!」と自己主張してきました。

善人の婿君が「じゃあ”半分こ”だね」と、明らかに2/3を自分がとって、残りの1/3を孫に渡そうとしたんですが、姑息なトリックは3歳児にさえすぐに見破られ、そっちが欲しい、と婿君の手に握られた2/3のパンを指さして聞きません。

それでもあきらめきれない婿君は「そっち(孫に渡した)の方が、ぶどうが沢山入ってるんだよ!」と、あくまでも理論的な説得を試みますが、3歳児に理屈が通用するはずもありません。
結局、根負けした婿君が1/3を取り、2/3を孫に渡すことになってしまいました。

婿君と3歳児との食欲のぶつかり合いには、気遣いが入り込む余地などありませんでしたが、同じ土俵で戦う二人は、どちらが大人なのか子どもなか、よくわかりません。

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