現在、1年契約で働いているため、毎年この時期、契約更新が近づくと、秋冬物の装いをどうするかが家庭内の関心事になります。
「辞めるなら、冬物のスーツはクリーニングに出さなくて良いよね?」と、妻の関心事は私のキャリアの問題ではなく、冬物を纏めて出した時のクリーニング代の家計への影響です。
同じ様な理由で、冬物のスーツ、又はジャケトなどを買い足すか否かでも悩みます。
何故なら、買い物には少なからず罪悪感を感じるイダログだからです。
検索ボックスに”買い物”と入力し、空白を挿入した後、”ざ”と入れると、”罪悪感”が予測変換されるので、同じような人は、私以外にも結構いそうです。
一方、買物依存症はありましたが、買物恐怖症はありませんでしたので、人類初ということでShopping-phobiaと名付けてみました。
キャッシュレスやセルフレジが普及したことで、買い物に恐怖を感じる人が増えているそうなので、Shopping-phobiaもいずれ流行語大賞にノミネートされると思います(知らんけど)
とりわけ罪悪感を感じるのが、所謂、衝動買ってヤツです。
小心者のイダログが衝動買い?って思われそうですが、事実は少し複雑です。
ケチで小心なイダログですから、洋服の購入はもっぱらアウトレットなのですが、アウトレットにもまたセール期間があるのはご承知のとおり。
そろそろ、新しい冬物を一着追加しとこうかな、などと呟こうものなら、じゃあ週末アウトレットに行く?という予測変換が妻から返ってきます。
「そうだね」と言う言葉とは裏腹に、心の中ではたちまち葛藤が芽生えてきます。
この次は契約を更新するとは限らないし、もったいないかな、などと心の準備が整うまで時間がかかります。
見るだけ見に行けばいいじゃない、と、世の女性たち同様、妻もショッピングが好きです。
一方の私は、心の準備が整わない段階で買い物にいっても、迷った挙句、決められない優柔不断さを自覚しています。
見るだけだぞ!見るだけだぞ!と自己暗示をかけて臨みますが、これどう?これどう?、と妻から矢継ぎ早にアドバイスをいただいた挙句、今日は見るだけだから、などと曖昧な態度をとろうものなら、途端に妻の機嫌は悪くなります。
買わない決断が何故妻を怒らせるのか、理不尽ですが、それがショッピング好きな女性の心理なのでしょうね。
こんな時は、だいたい翌週リベンジします。
こんどはもう少し購買意欲を高めで臨みますが、アウトレットの宿命で、2度目に行った時は、サイズ切れを起こしていることが常です。
そうなると、また妻の怒りに再び火をつけることになります。
「だから、先週買っときなさいって言ったじゃない!(怒)」
買いそびれたのは残念ですが、一方で罪悪感は和らぎますから、自分の中では、結構腹に落ちてるんですよね。
罪悪感との葛藤を迫られるもう一つのパターンがありますが、それがまた結構厄介なんです。
見るだけ見にいけば、の上位概念に、試着するだけ試着してみたら、があります。
これがまた、お客さんに商品を売る立場の仕事に携わってる者にとっては、さらに強い心の葛藤を招きます。
しめしめ、オドオドしたジイサンに売りつけたら、今日の予算がクリヤーできる、と期待したスタッフさんを落胆させるんじゃないか、などと売る立場になってしまうものですから始末に負えません。
「ぴったりですね♡」などと言われると「ああ、ホントだ。良いですね。じゃ、コレ下さい!」などと口走ってしましい、悪魔の姿をした罪悪感が、やっぱりオマエはその程度のヤツなんだよな、と嘲笑している姿を妄想してしまいます。
アウトレットで周回遅れの服を買うだけで、こんなに悩んでいる私の気持ちなど妻にわかるはずありません。
罪悪感ではないのですが、買い物で一番困惑するのが、試着している最中、妻がいなくなることです。
色覚障害ということもあり、服に関しては、自分一人で決められない優柔不断なイダログです。
試着室のカーテンを開けてると、妻の姿はなく、レディースのエリアで自分の服を物色していることがあります。
大声で呼ぶわけにも行かず、念力を使って早く戻ってこい、と念じるしかないのですが、こんな時って周囲の音が消え、人類が絶滅した地球に唯一人取り残されたような孤独を感じます。
周囲が世紀末のような景色に変わり、しばし茫然としますが、「奥さんを、呼んできましょうか」とニコニコしているスタッフさんの声に、我に返るイダログです。