“躊躇”っていう漢字は、パソコンがなかったら、人生で一度も使うことはなかったでしょうね。
で、何に躊躇っているかと言うと、出張の際よく利用する駅の構内に、いつも気になっている自販機があるんです。
冷凍のちゃんぽんを販売している販売機なのですが、決して得体の知れない物ではなく、れっきとしたリンガーハットの販売機です。
改札を通るたびに気になって必ずチラ見してしまうんですが、がらんとした駅の構内にポツンと置かれたちゃんぽんの自販機の前に、人の姿を見かけたことはありません。
このまま需要がないと、いつか消えてしまうんじゃないか心配になります。
だったら、買えばいいじゃないのよ、言われそうですが、そりゃあ、飲料の販売機だったら何の抵抗もありませんよ。
今日は冷えるなぁ~、あったかいジョージアでも飲むか、ってコートのポケットに入れておくとしばらく暖もとれてほっこりした気持ちになりますが、あったかいちゃんぽんでも食うか、ってジョージアのつもりでコートのポケットにしまったとたん、なんじゃこりゃ?冷たいじゃないか!って怒り出す人はいませんが、あきらかに移動の途中で購入できるシロモノではありません。
こんなところで、こんなものを買っていいのだろうか、という場違いさに躊躇ってしまいます。
改札口から丸見えなので、通勤や通学の人々に見られ「やだ、あの人、自動販売機で冷凍ちゃんぽん買ってるよ」と変人扱いされないかな?などと、余計な不安が脳裏をよぎって、なかなか一線が越えられません。
おまけに、何の予告もなしに家に買って帰って「なぜ、冷凍ちゃんぽんなん?」と家族から怪訝な顔をされることも予想されます。
一方、お客を見かけたことのない自販機だと、中に入っている商品は無事だろうか、と勘繰ってしまいます。
家の冷凍庫で、正月に冷凍した餅が数か月後、氷漬けになったシベリアのマンモスのように発掘されることがありますが、同じようなものが出てくるんじゃないか心配になります(リンガーガットに限ってそんなミスはないはずですが)
たかが冷凍ちゃんぽんなのに、購入に至るまでには、いくつかのハードルをクリヤーする必要がありそうです。
こんなことで悩むのは変ですか?
同じような理由で、通勤途中のピザ屋さんの前にある冷凍ピザの自販機も、気になっているのになかなか購入するまでに至らないものの一つです。
ピザ屋さんの前に堂々と設置されているのが、むしろネックです。
「アイツは、なぜ店の中で焼き立てを食べず、自販機で冷凍ピザを買うのか」と思われやしないか、などと余計な心配をしてしまいます。
冷凍ちゃんぽんも冷凍ピザも、それを買って家に帰るまでのストーリーがうまく描けないんですよ(ちょっと何言ってるかわかんない)
一般人の生活のストーリーから逸脱した動きをすることを躊躇してしまう、保守的な性格が災いしているんです。
“カレーとコーヒーの店”などと、お客に選択肢を与えず、ウチの店に入ったからには、コレを注文しろ!とドヤ顔で主張している店がありますよね。
そんな店に入ると、カレーが食べたいだけなのに、コーヒーを注文しないとオーナーの気分を害するんじゃないかな、などと余計な気を遣ってしまい、水で結構です、と宣言するのが躊躇われます。
むしろ、”カレーと美味しい水の店”って言うがあったら流行りそうですよね。
先日、孫クン連れでランチの店を物色していた時のこと。
うどんが食べたいと言うので、うどん屋のショーケースを見せたところ、うどんを希望しておきながら、これがイイ!と指さした先には、ざる蕎麦の姿が。
うどん屋における蕎麦の立ち位置は微妙です。
グループで来店した客の中には、江戸っ子もいるかもしれないから、一応保険をかけておこう、って言う程度の蕎麦メニューに違いありません。
どう考えても職人さんの気持ちが入っているようには思えません。
特に私が暮らす福岡県だと、大衆文化はうどんなので、蕎麦が食べたかったら蕎麦の専門店に行け、みたいな意識の高さもあって、うどん屋の蕎麦には違和感があります。
ふと思ったのですが、ラーメン屋のメニューでは、蕎麦もうどんも見かけたことはありません。
逆は時折見かけますので、もう少し深く探ってみると、食文化の研究テーマになりそうです(聞き流して下さい)
いやいや、孫クン、うどん屋の蕎麦は邪道だよ、と言っても5歳児にわかるはずもありません。
オトナたちの間には微妙な空気が流れ「他の店も見てみようか」などと、孫クンをごまかした挙句決まったのは、焼きそば屋でしたとさ。
焼きそば屋って言うカテゴリーがあるのも、福岡”ならでは”です。
同じく研究テーマに加えるべきでしょうね。