まぁ、あのー世の中ね。
興奮する事はいっぱいありますけども、一番、興奮するのは運動会だな。
間違いないね。
間違いない。
と、サンドさんの掴みで始めてみました。
孫クンの運動会が迫ってきて、気掛かりな事が二つありました。
一つは、「まさか、自分の孫の運動会に来ないとか言わないよね」と責めるような家族の視線。
もう一つは、親子競技なるものに引っ張り出される危険性です。
昭和生まれ世代が幼稚園児だった頃、運動会に親や祖父母が見に来ることなんかありませんでしたよね?
ありませんでしたよね!(と念を押しときます)
高度経済成長期には、世の中の父親なんか、日本の発展のために汗水たらして働いていましたので、子どもが、かけっこで一番になろうがビリになろうが、知ったことじゃありません。
いまや成長が止まってしまった日本では、子どもの成長だけが親たちの生きる支えなので、運動会やお遊戯会は家族総出の一大イベントです。
子どもたちのベストショットを収まるべく、保護者が前日の深夜から幼稚園の門の前に陣取るのは、もはや当たり前の光景です。
私は、そんな世間の風潮に一石を投じるべく、孫クンの運動会は見に行きませんっ!
と言うのは嘘で、残暑の残る、埃っぽい運動場で人混みにまみれるよりも、家でNetflixを見ている方が幸せ💛というだけの、ポンコツジイサンなのでした。
今では人混みに紛れてしまう平均身長のイダログですが、子どもの頃は背が高かったのです。
当時はありがちでしたが、背が高いだけで、足が速そうーとか、バレーやバスケが上手そうーとか、外見で誤った評価を受けることが多く、選手に選ばれては、放課後や夏休みにきつい練習に駆り出され、かと言って根がへなちょこなのでレギュラーで試合に出させてもらえることもなく、練習だけで青春を終えたイダログです。
最近は廃止する学校が増えているそうですが、当時は組体操、騎馬戦、棒倒しは、私のような見かけだおしのへなちょこにとっては、恐怖の三段活用、怖い、怖いよー、あー怖い、でした。
もちろん騎馬戦では、馬の脚、しかも後ろ脚が定位置でしたとさ。
特に恐ろしかったのが高校時代の棒倒しでした。
工業高校(しかも男子校!)の中で、各学年一クラスだけの進学クラスにいましたので、他のクラスは、さしずめ反社勢力の巣窟、運動会とは言え、下手にやる気を出そうものなら命を落としかねなかったため、担任の先生からも、決して無理はするなよとのアドバイスどおり、安全に棒が倒れるよう皆で一致団結し、そそくさと戦場から逃げ出していた三年間でした。
娘や息子も成人し、もう運動会に付き合う必要もないよな、と思っていたところ、最近は、親はおろか、祖父母までもが、子どもの成長を応援するのが当たり前な世の中だそうですね。
日頃から孫クン命の婿君は、最近、会社が終わった後にチョコザップで体を鍛えることを日課しているのですが、一向にマッチョに変身する兆しもなく、逆に免疫力がトレーニングに負けてしまうことがしばしばで、いざと言う時に限って、インフルエンザなどの感染症にかかることが多く、今回も油断ができません。
と思っていたら、運動会が迫ったころ、お約束の高熱に見舞われるという危機一髪の事態に陥り、娘からは「どうしても婿君が来られなかったら、ジーコ(私のことです)が代わりに出てくれるよね?」などと、本気か冗談かわからないようなことを言われたのが冒頭の心配事の背景です。
思えば、孫が幼稚園児ぐらいだと、ジイサンの年齢も微妙なんですよね。
世のパパさんたちのように、ここぞとばかりにブランド物のウェアに身を包み、偽アスリートのフリをするほど見栄えは良くなく、さりとて、寝たきりの老人と言うほど衰えてもおらず、無理して孫クンを抱えて全力疾走などしたら、見かけは丈夫そうに見えても、心臓が停止する危険性大です。
孫クンの方も、そんなやる気のない私の血を引いているだけあって、「運動会の日は、風邪をひこうかな」などとやる気のなさ満々ですから、私も無理は禁物です。
ガチャポン3回分を唯一のモチベ―ションに運動会に臨むやる気のない孫クンのために命を懸ける必要はありませんよね。
当日、「まだ、酸素が体に十分まわり切れていないようです」などとわけのわからない言い訳をする婿君でしたが、なんとか親子競技に参加することができました。
孫クンのかけっこも、4人中4着で無事終了。
頑張ったという既成事実さえあれば、欲しい物が手に入ることを知った孫クンでした。