「車内ではマスクを着用し、お客様同士の会話はご遠慮下さい」
私が暮らしている地方の、〇〇新幹線で流れている車内放送ですが、ここまでは、どこのエリアの車中でも聞かれるアナウンスです。
〇〇新幹線では、それに続けて、
「私たち一人ひとりが感染対策を徹底し、一日も早く元の生活を取り戻しましょう」(確かこんなニュアンスでした)
という車掌さんの生の声が流れるんですが、この後半部分は明らかに世界に向けたメッセージです。
間違ったことを言っているわけではないのですが、ひと気のないローカルな車内で聞くには内容が立派過ぎて、聞いている方が気恥ずかしくなってしまいます。
おまけに、その後停車駅を案内するんですが、日本語のアナウンスの後に、CAさんさながらに、
「めい・あい・はぶ・ゆあ・あてんしょん・ぷりーず」
って、(ほぼ100%オッサンの)車掌さんが、たどたどしい英語で話し始めると、恥ずかしさメーターが、レッドゾーンまで入っていきます。
(多分、アニメ好きが高じて日本に住み着いたオタクのアメリカ人から研修を受けたんだと思います。ただの憶測です)
コロナの影響もありますが、空席の方が多い地方路線の車内に、外国人が乗っている可能性はほぼゼロです。
いい加減、英語の車内放送はやめましょう、って提案する車掌さんがいてもおかしくないんでしょうが、多分、どこの会社でも、一度始めたことは、なかなかやめられないんでしょうね。
「実は、〇〇新幹線の車内放送は、お父さんの声なんだゾ」
とか家族団らんの場でカミングアウトする車掌さんはいないはずですから、皆さん、家族にも隠しているんじゃないでしょうか。
ちなみに、福〇空港から西〇高速バスに乗車すると、最初の10分ほど、息つく間もなく乗車中の注意事項(バスが停車してから席をお立ち下さい云々)について説明のアナウンスが入りいます。
あれだけの長台詞を暗記できるのは、西〇高速バスの運転手さんと堺雅人ぐらいじゃないかって、いつも感心しながら聞いています。
世界へ向けたメッセージも、英語のメッセージも、アナウンスしている車掌さんのことが恥ずかしいわけではありません。
自分を同じ立場に置き換えた時のことを想像すると、何となくムズムズしてくる、って言う意味の恥ずかしさです。
ドラマなんかで、子供のいたずらがバレそうになる時にドキドキするのと同じ感覚ですね。
同じような理由ですが、録音された自分の声を聞くと、何故あんなに恥ずかしいんでしょう。
オレは、こんなカエルの鳴き声みたいな声じゃない、録音の問題なんだ、って否定したいんですが、
実際は、録音の声が本当の声に近いんですって。
自分の耳に聞こえてる自分の声は、本当の自分の声じゃないらしいんです。
自分の耳には、空気を伝わった音(気導音)と、声帯の振動が頭蓋骨を通じて伝えられる音(骨導音)の両方が入ってくるんから、周囲の人が聞いている気導音だけの自分の声とは、かなり違って聞こえているんだそうです。
と言うことは、人間は一生、生で自分の本当の声を聞けないっていうことなんです。
同じ様に、動画に映っている自分の顔にも唖然としてしまいます。
コロナが始まってから、仕事で動画を撮影することが多いんですが、声と同じく、普段鏡で見ている自分の姿と違いすぎて、どうしても動画に映っている自分の顔には納得できません。
いや、そんな顔だよ、って言われるのはわかってるんですが、
顔のいたるところに現れている”年寄りサイン(シワとかシミとか)”は、鏡には映ってなかったじゃないか!
これも声と同様、鏡の中の自分より、映像の中の自分の方が本物に近いらしいんです。
左右の違いや自然光の当たり具合、鏡の前では微妙に表情を引き締めていることによって違いがでるんだそうです。
と言うことは、人間は一生、生で自分の本当の姿を見られないってことなんです。
あの世に召される時に、天井のあたりから死んだ自分の姿が見えるって言う話は、バラエティー番組なんかでよくやってますね。
けど、あらかじめ、目を開けといてくれ、って誰かに頼んでおかないと、折角の機会なのに、目をつぶった自分の姿しか生で見られないことになります。
あっ!目をつぶった自分の姿も、その時しか見られないのか・・・。