神様、ちゃんと見てますか。

朝の信号渋滞で、左側の路地から合流しようとする車がいます。
タイミングよく自分の車が路地の手前で止まった時は、”善きサマリア人”になりきって、その車を入れてやります。
するとどうでしょうか、結構な確率で入れてやった車が信号をクリヤーし、私の車は赤信号で置いてきぼりになることがあります。

滅多に発揮しない親切心を発揮したばかりに、とんだマヌケけになってしまった自分を切なく思うのと同時に、天を仰いで、神様、こんなに親切でマヌケな私を、ちゃん見てくれていますか?ってなります。
実際には運転中なので、天は仰ぎませんが、心の中はモヤモヤしています。

その内、神様からご褒美をもらえるんじゃないかって期待しているんですが、一向にその気配はありません。

そもそも、大谷選手みたいに心の澄んだ人間だったら、そんなことで後悔しないので、神様は私の小ささを見抜いているのかもしれません。

話は変わりますが、小心者なので、ルール違反ができません。
悪いことができるのは、誰にも見られていない時だけです。

東京のような大都市に出張すると、いたるところに路地がありますが、滅多に車が通らないのに、信号が設置された交差点が多いんですよね。

車が来ていないのを確認すると、多くの人が赤信号を無視して渡っていきますが、中には私のように、ボーっと待っている人もいます。
ここでも心の葛藤があり、小心者の私にとっては、信号無視は麻薬の密売並の重犯罪に相当します。
まれに周囲に誰もいなくて赤信号を無視する時は、無法者になったような気分です。

大人しく信号待ちしている時には、自分を納得させるため、車が目の前を通り過ぎてくれないかなとか念じながら待っています。
要するに、真面目に信号待ちしている姿がマヌケに見られるのがイヤなんです。
念力が通じ、クラクションを鳴らした車が赤信号を無視する無法者たちを蹴散らしながら走り去ろうものなら、ほうらね、やっぱり赤信号では止まらなきゃね、と虚しい優越感で自分を納得させている屈折した自分がいます。

こんな時も、神様、正しい行いをしているワタシを見て!って心の中で唱えていますが、正しいことをしようとして信号を守っているわけではなく、ルールを破るのが怖いだけなので、多分ここでも心の小ささを見透かされているんだと思います。

始発の次の駅から始発駅とは逆方向の電車に乗車する時、ゆっくり座りたいがため、一旦始発の駅まで戻って、折り返しの電車に乗ることってありませんか(何言ってるかわかりますよね)

本当はこれってルール違反ですよね。
普通は見つかることは稀ですが、以前渋谷駅で(あんなに乗降客が多いにの!)、駅員さんから見つかって、テロリスト扱いされている乗客を見かけたことがあります。

多分その人は、駅舎に連れていかた後、コンクリートの重しを付けられて東京湾に沈められたと思うんですが、一駅ズルしただけで死刑にされそうになることがわかって以来、駅員さんが見張ってそうな駅では、一度改札を出て、あらためて入場することにしています。

そんな時も心の中で、神様、ちゃんとルールを守ってますよ、ご覧になれれてますか、ってお尋ねしてるんですが、多分神様は戦争とか環境問題とかで忙しくて、そんなちっぽけなことにまで目を光らせているわけありません。

どうせ神様はボクなんか見てくれてやしないんだから、誰にも見られてなければちょっとぐらいズルしてもいいか、って思うんですが、そんなことをやった途端、天罰が下って雷に打たれるに決まってるんですから、結局、皆が信号無視する交差点でもボーっと待っているイダログです。

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