異文化コミュニケーション

コロナの規制が緩和されて以降、来客や会食の機会が増えたイダログです。

とりわけ、海外からの来客が、待ってましたとばかりにいらっしゃるんですが、日本人相手とは勝手が違い、その都度、少なからず緊張してしまいます。

一方で、町で見かけた外国人の後をついて回る、昔の田舎の子どもみたいな、ワクワク感もありますね。

厄介なのは、言語を共有できないことでの、コミュニケーションのとり辛さです。
とりわけ、他のメンバーは皆英語が話せるのに、自分だけが対応できないような場面だと、(九州男児ば、なむんなよ。ここは日本ばい)とばかりに、多少英語がわかっていても、意地でも英語なんか喋ってやるもんか、っていう意固地な気持ちになりませんか?なりませんよね、ハイ。

普通は通訳的なメンバーを介してミーティングが進行しますが、いつも些細な違和感を感じることがあります。

外国人が母国語で話している時って、相槌を打っても良いものなんでしょうか?

例えば、中国語はまったくわかりませんが、そんな時、相手の言っていることに、一々頷くべきか否か、いつも迷ってしまいます。
わかったような顔をして頷くこと自体が、ウソをついているわけですから、実は失礼なんじゃないか、とか考えちゃうんですよ。めんどくさいですね。

中国人のお客さんの話が終わり、通訳さんが内容を訳す番になるんですが、そこでは、お客さんの顔をみながら、通訳さんの話を聞くべきなんでしょうか。
それとも、通訳さんの顔をみながら、また同じように通訳さんの話に頷くべきなんでしょうか。
そんなのどっちでも良いんでしょうけど、いつも疑問に思ってしまいます。

ちなみに、中国の人って、通訳さんの存在を無視して、延々と母国語で喋りまくり人が多いような気がします。
一方の通訳さん(同じく中国人)も、オイオイ、そんなに簡単な内容だったっけ、って突っ込みたくなるぐらい、二言三言で通訳することがありますよね。

一方、英語の場合は、中国語と違い、何となく話の内容がわかっちゃうものですから、ついわかったような顔をして頷いてしまいます。
最後に、What do you think about that? とか話を振られたらどうしよう、とか内心ではドキドキしながら頷いています。

だからと言って、実はわかっていないだぞ、ってことをわかってもらうために、頷きもせず、じっと相手の目だけを見つめていたら、それはそれできっと、ニホンジン、コワイ、とか思われそうなので、わかっているのか、わかっていないのか、わからない程度の絶妙な相槌でごまかすことにしているイダログです。

逆に、自分が話す時、ついつい通訳さんの都合を考えて、主語述語目的語を明確にしようとしてしまい、かえってぎこちない日本語になってしまうことってありませんか。
ありませんよね、ハイ。
正しい日本語を話すのは、意外と難しいんです。

不自然に大きな声で「ワタシハ、アナタガタノホウモンヲ、タイヘンウレシクオモイマス」とか、お前は自動翻訳機かよ、って自分で自分に突っ込みたくなることがあります。

先日の記事にも書きましたが、来客に限らず、街にも外国人が増えてきました。
コンビニなんかだと、必要以上に会話を交わす必要もないんですが、ファミレスなんかだと、たまに、日本人より遥かに頭の良さそうなマネージャーのアサドさんが、自らオーダーを取りに来ることがあります。

そんな時も、正しい日本語を、クリヤーな発音で話さなきゃいけないんじゃないか、って変に気を使ってしまい、むしろ自分が日本語を話す外国人みたいに、ぎこちなくなってしまいます。
そんな時って、オレは今どこの国にいて、どこの国の人間なんだろう、ってglobalな錯覚に陥ります。

外国人と会話を交わしている時に、相手の胸の上あたりに、字幕がでてくると良いのにな、とか思いませんか。

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