年の瀬のありふれた風景

英会話教室に通っていた頃、年末になるとネイティブの先生から「Merry Christmas and Happy New year」と挨拶されていました。
簡単な英文ですが、(九州男児は、そげな洒落た挨拶は言えんばい!)と、口に出すのが気恥ずかしく「Me…、Merry、◎△$♪×¥○&%#?!」などとボソボソつぶやく年の瀬でした。
最近は宗教の多様性とかなんとかで”Christmas”は敬遠されるようですが、代わって台頭してきたのがSeason’s Greetingsとか言うヤツです。
“年賀状仕舞い”をもらったり、疎遠な人とは自然に途絶えたりで、年々年賀状のやりとりが減ってきていますが、それでも年明けの郵便受けに出していない人からの年賀状が届いていると気まずい思いをします。
Season’s Greetingsだと、それほど伝統の重みも感じないので、出さなくても許されそうな気がしませんか。

手帳もそろそろ2025年版と交代の時期です。2024年版に書き込んでいる2025年1月の予定を、新しい手帳に転記します。
「ほぼ日手帳」を使い始めて来年で8冊目ですが、「ほぼ日」のHPに掲載されているような、(手書きのイラストや図などを色とりどりに書き込んだ)美しい使い方にあこがれながら、未だに後で読み返しても判読できない、ダイイングメッセージみたいなメモしか書けないイダログです。

当初の予定では、2025年10月25日の欄にoasisのライブを書き込むはずだったのですが、先行予約の抽選にはずれ、一般販売の朝からクリックし続けたものの、一度もつながることなく、つながった時にはすでに”完売”の虚しい文字が表示されていました。
実は先行予約の時点で既に完売していたんじゃないのか、と疑いたくもなります。
先行予約の抽選は、くじ運の強い娘に任せておけばよかったのですが、父親の威厳を保つため自ら申し込んだのが間違いでした。
妻からは「なんで娘じゃなくて、運のないお前が申し込んだのか」としばらく責めら続けました。
一年先のライブを予約することなど生まれて初めてです。
高齢になると、1年先には神に召されている可能性もあるのですが、oasisのファンならご承知のとおり、自分の身に起こる心配よりも、兄弟喧嘩でまた解散するリスクの方がはるかに高いんですよね。

慌ただしい年末にもかかわらず、夏のバーベキューで使いきれなかった炭が”しけって”使えなくなることを恐れる婿君は、極寒のクリスマスにバーベキューを強行しました。
平日休みの娘夫婦、冬休みに入った孫クンと妻の4人で真冬のバーベキューですが、こんな時はむしろ仕事で参加できないことをありがたく思います。

クリスマスが近づくと、サンタさんからのプレゼントで頭の中が一杯の孫クン。
イヴ、寝床に入る前は、サンタさんが入ってこられるよう、窓を開けておくと言って聞きません。
おまけに、サンタさんが顔を見られるのを恥ずかしがって入ってこないといけないからと、部屋の電気を消して真っ暗にしています。
孫クンは、ガチでサンタさんを信じているんです。

枕元には、サンタさん宛の手紙とお礼の手作りクッキーを準備しています。
「さんたさん ぷれぜんと ありがとうございます おりこうにしています くっきーたべてください すなおなこころでいます そうだいなもくひょうも たっせいできます」
家族に内緒で達成しようとしている”壮大な目標”っていったい何なのでしょうか?

「ママのことは、慈母観音(注1)の高さぐらい愛してる💛」と言って憚らないマザコンの孫クンですが、この日ばかりはサンタさんに夢中です。
孫クンの夢を壊したくない娘は、孫クンが寝静まってから、サンタさんの代わりに手紙の返事を書き、クリスマスケーキを食べた後にも関わらず、手作りクッキーを全部平らげないといけません。
(注1.私が住む街の成田山にある高さ62mの観音像です。建立当時は日本一の高さを誇っていたそうです)

以上、ありふれた年の瀬でした。来年が皆さんにとって良い年でありますように。

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