哀しい出来事でもあったのでしょうか、孫クンが泣きながら晩御飯を食べています。
事情を聞くと、5本持っていた鉛筆のうち、1本をどこかで失くしてしまったとのこと。
ママから怒られたわけではないのですが、あらゆる”モノ”に魂を吹き込んで擬人化してしまう孫クンにとっては、鉛筆も例外ではありません。
どうやら、5人家族の鉛筆一家だったらしく、運悪くいなくなったのが、3人兄弟の末っ子として可愛がられていた鉛筆だったようです。
“えんぴーつ君”と言う、いつもながらネーミングセンスゼロで名づけられていたようですが、他の兄弟の名前を聞いても口ごもって答えられないところをみると、その場の思い付きでつけた名前に違いありません。
鉛筆一家の末っ子がいなくなっただけでこんなに悲しんでいるからには、私が死んでもそれなりに悲しんでくれるんでしょうか。
鉛筆より扱いが下だったら嫌ですよね。
“モノ”に魂を込めるからと言って、大事にするのとはちょっと違うようです。
御多分に漏れず、世間一般の小学生同様持ち物に対する扱いは雑ですし、遊び飽きるといたることころに放置していて、後で探し回ったりしています。
骨を庭に隠した犬が、場所を探しまわるのと同じですね。
よく「お宝探偵団」なんかで、子どものころのおもちゃを後生大事に新品同様の状態で保管している人がでてきますが、私の家系にはそんな立派な人間はいません。
私の勝手な説ですが、子どもの頃のおもちゃ(コレクションでもいいんですが)を大事にしている人ほど、大人になってから人とは違う才能を発揮できるじゃんないか、などと勝手に思い込んでいるのですが、自分にない才能にはあこがれてしまうからでしょうか。
モノを大事にするか否かとはちょっと違うのかもしれませんが、娘の家では、お小遣いはお手伝いの対価としてあたえるシステムを導入しています。
孫クンは、片付けやゴミ集めなどの都度、10円20円とコツコツと貯めたお小遣いでガチャガチャなどを楽しんでします。
子どもの頃からお金の大切さを身に着けさせたいとの考えのようですが、婿君は密かに違和感を抱いています。
お金をもらってお手伝いをするようになると、お金でしか動かない人間になってしまうことを心配しているようなのですが、やんわりと異を唱えるものの、善人の婿君が娘に逆らえるはずがありません。
一方の婿君はと言えば、iPhoneの新型が出るたびに欲しがったり、女子並に月一で美容室に通ったりしているのですから、ポリシーとしてはお金のために働いているわけではないのでしょうが、入ってきたお金の使い方には問題があるようです。
どっちの言い分が正しいと思う?と妻から食卓で聞かれたものの、うかつにどちらかの味方をすると地雷を踏む危険性もあるため、答えを保留したままうやむやにしています。
アメリカ映画なんかで、家の前の歩道でレモネードを売って小遣い稼ぎしている子どもがでてくるので、アメリカの子どもは労働の対価で小遣いを稼ぐ派か?おもいきや、実際は定額の小遣いをもらったり、必要な都度もらう子どもの方が多数派のようです。
しかも、2025年の調査によると、5歳~17歳の子供が貰っている平均のお小遣い額は月にすると150ドル(但し、中央値だと80ドル USA TODAY 参照)ぐらいだそうですから、現在の円安だと日本円では私の小遣いとあまりかわりません、
日本の男性サラリーマンの平均小遣いをネットで調べたんですが、私の小遣いは明らかに40代の頃から平均を下回っており、しかも40代の頃で伸びが止まったまま還暦を迎えました。
自慢じゃありませんが、ケチです!
欲しいものがあっても、ネットで下調べしているだけで満足して、実際の購買行動に移ることはありません。
安上がりな人間なので、アメリカの小学生並の小遣いでも持て余してしまうイダログです。
