いちぬーけた

何かをやめる時、とりわけ集団から離脱する時って、それ相応のストレスがかかります。
これまでの人生でも、途中で挫折したり、嫌になったりしてやめたことが沢山あります。

小学生の時は、習字の塾が長続きしませんでした。
どんな字が綺麗な字なのかがよく理解できず、上達している実感がつかめなかったためです。
そのせいで、いまだに小学生のような字しか書けません(わかってます。塾のせいではなくて、ただ単に字が下手なだけです)

中学生の時は、学習塾を途中でやめました。
一向に成績が上がらず、塾の必要性に疑問を感じたためです(わかってます。ただ単に、私にヤル気がなかっただけです)
そう言えば、部室の扉を開けたら先輩が煙草を吸っているを目撃し怖気づいた卓球部も、一週間でやめたっけ。

煙草は大学生の頃から吸い始め、30歳でやめました。
へなちょこセールスマンだったため、お客さんと対面していて間が持たない時、煙草に頼っていたんです。
無理して間を持たせる必要もないや、と有能なセールスマンになることをあきらめ、煙草もやめました。

40歳になる前に、競馬をやめました。
ギャンブルでは決して億万長者になれないことに気づくのに10年かかりました。

税理士資格をとるべく、3年ほど挑戦を続けましたが、途中で挫折。
生粋の文系なので、計算が苦手なことを当時忘れていました。

50歳を過ぎた頃自己啓発に燃え、英会話の個人レッスンに通いました。
先生はネイティブでしたが、雑なアメリカンではなく、真面目な英国紳士だったのが災いしました。
過去完了形だとか未来完了形だとか、時制の一致を入念にレクチャーされるうちに、つまらなくなってしまったのです。
日本の義務教育の過ちを地で行くような教育方針です。
「文法なんかどうでもいい。ボクは英語で会話がしたいんだ!」と言いたくても、英語でどう言って良いかわからず、英国紳士を落胆させるのも怖くて黙っているうちに、だんだんモチベーションが低下し、上達することなく5年で挫折。

ここまでが長い前振りになりますが、「いちぬーけた」とは、ちょっと違いますかね。

この度、異業種交流の”飲み会”を退会することにしました。
他のメンバーに少なからぬ影響を与えますので、これはれっきとした「いちぬーけた」ですね。

年齢を重ねるにつれ、大人数での飲み会が体力的にきつくなってきました。
とりわけ異業種交流会では、素の自分を偽って虚勢を張っていることもあり、多少気疲れを感じてきました。
そもそも、定期的に、電車に揺られ、遠方まで、しかも休日の夕方から出かけるのは、インドア派で怠け者の私にとっては大仕事なのです。
十数年前までは、社外のネットワークに参加することに対し、オレってちょっとエグゼクティブ?、みたいな優越感を感じてたんですが、元来意識低い系なのですから、そんな不純な動機では、交流も長続きするわけがありません。

この手の、協調性が要求される集まりって、秘密組織から足を洗うわけではないのに、和を乱すような感じがして、”やめます”の一言がなかなか言い出せないものです。
どう言ったら角が立たないかな、などと何か月もシミュレーションしながら、結局は、ボクももう歳だから、とか、後進に道を譲り会を活性化させた方が良いとか、もっともらしい口実をつけるしかないのです。

一方で「いちぬーけた」って、先に言ったもの勝ちみたいなところもありますね。
私が言い出した途端、じゃあオレも辞めようかな、などと追随するメンバーがでてきて、なんか気まずくなるのって、”交流会あるある”ですね。

あらためて考えてみると、「いちぬーけた」も、なかなか深い言葉です。
何かと同調圧力に流されることの多い今の世の中、これ言い出すのって、むしろ勇気のいることなんですよ。
などと偉そうに言ってますが、所詮、飽きっぽくって、何事も長続きしないイダログなのです。

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