イシグロ氏のノーベル賞受賞後長編第一作です。
AIが実装された友人型アンドロイドのクララと、
病弱な少女ジョジーとの交流が、
クララによる一人称で描かれていきます。
イシグロ氏の作品の多くが映像化されていることからわかるように、
本書も、映画を見るように、
素直に物語に身を委ねるだけでも十分心が動かされます。
娯楽性や大衆性の中に、
深い洞察を忍ばせているのがイシグロ氏の作品の素晴らしさですが、
登場人物たちから発せられる言葉や文脈に注意しながら読むと、
さらに深い作者の意図が汲み取れるような構造になっています。
物語の社会的背景については、多くが語られていません。
そこは読者が想像力を働かせるしかないのですが、
エピソードの端々から手がかりを掴むことは容易です。
SFの体裁をとっていますが、
あくまでも本質的なテーマを描くための設定にすぎません。
クララは、人間を学習し、理解することで、
人間に寄り添う完璧な存在を目指そうとしていますが、
一方で、太陽エネルギーで駆動しているため、
お日さまを創造主のように慕っています。
信仰心は、得てして人間が不完全さを自覚し、
補うための拠り所になることがありますが、
AIが信仰心を持つことによる人間らしさには、
逆説的な示唆が暗示されているようです。
一方人間たちは、不完全さを人工的に補完し、
人間を超えた完璧さを目指そうとします。
一部の者は、人間がAIで置き換え可能とさえ考えています。
この辺の対比から、本書のテーマを汲み取ることができそうです。
物語の最終章は特に素晴らしく、本記事を書く前にも、
そこだけ何度か読み返してみました。
クララは人間を目指し、全てを学習しようとしましたが、
どんなにがんばって手を伸ばしても届かない”特別な何か”を悟ります。
それでも決して後悔や失望の闇に捕らわれることなく、
人間への感謝の記憶だけを頼りに、自分の役割を全うしようとします。
そんなクララの、学習によって得た人間への理解は、
無垢な優しさがありながら、切なく胸が痛みます。