入学式からの帰り道、初登校を終えた孫クンは、婿君と娘に連れられ家路につきます。
家から学校までは徒歩で5分程度なので距離的な負担はないのですが、心配なのは、車の往来が激しく道幅の狭い、学校前の道路の歩行と横断です。
「ここでは、必ず右側を歩きないさいよ」との娘の何気ない一言に、婿君の口からは驚くべき言葉が発せられました。
「そうそう、本当は歩行者は”左側”を歩かなきゃいけないんだけど、ここだけは特別ね」と婿君。
「???」婿君があまりにも真顔で発言するため、「人は右、車は左じゃね?」と突っ込むことができなかった娘です。
ちなみに娘は、車の免許を取得する際、実技は全てストレートで終了しながら、学科試験に2回も落ちた猛者なので、もしかしたら自分が間違ってるんじゃないかと思ったらしいのです。
翌日、婿君が仕事で留守の時を見計らい、念のため家族会議を開き、前日の婿君の発言の真偽を私と妻に再確認する娘です。
もしや、交通ルールが変更になったのか?と半信半疑だったようですが、米国から日本に返還された沖縄じゃあるまいし、そんな大きなルール変更があれば誰でも気づくはずですよね。
“歩行者は左”が関西人の常識か?いや、婿君の一族だけに伝承されてきた掟のようなものかもしれない、などなど、婿君以外の家族にとっては、地動説を覆されたほどの衝撃です。
婿君が、何かのカルト集団に属しているといけないので、彼の前ではあからさまに否定しないことにしました。
そこで、念のため、あくまでも念のためですが、関西では歩行者が左側通行なのかをネットで検索してみます。
するとどうでしょう、でてくるわでてくるわ、”関西では歩行者は左側を歩くらしい”との考察が。
“歩行者は”と入力すると、”どちら側通行”とか”左側通行”とか予測変換されますから、同じような問題に遭遇した結果、自分が生まれてから信じてきた常識に自信が持てなくなり、検索する人が一定数いるという証拠です。
で、検索結果を頼りに真相を探ってみると・・・、
歴史的には、江戸時代の人は左側歩行が常識だったそうです。
武士は左側に刀を差しているため、右側歩いていると、左側からの攻撃に遅れをとるからだそうですが、天下泰平の江戸時代に、往来で斬り合いをしていたとは思われませんので、ただのカッコつけですよね。
維新後も江戸時代の常識が踏襲され、明治33年に左側通行が制度化されたそうです。
しかしその後、昭和25年頃からGHQの指導で、”人は右、車は左”が正式に導入され、現在は道路交通方上も、”人は(歩道のない道路では)左”と規定されています。
以上のトリビアは、大阪府警察のHPを参考にしました。
関西人は、未だに左側からの攻撃を恐れているのでしょうか。
だったら、エスカレーターでも左側に立てば良いのに、そこは違うんですね。
不可解な人たちですが、それ以上詮索するのはやめましょう。
関西人がどうであれ、車が左側を走っている以上、左側を歩いていたら後ろから走って来る車を認識できないので、どう考えても危険。
良い子の皆さんは、関西人の言うことには耳を傾けないようにしましょう。
そもそも大阪府警が、HPで右側歩行と左側歩行の歴史を、あらためて解説する真意はどこにあるのでしょうか。
「そいう歴史があんねん。途中から右になったり左になったりコロコロ変えるもんやさかい。どっちかわからんようになんねん」(関西弁、これであってますか?)と、暗に関西人をかばってる?
