味覚

これまで一度もコロナに感染したことがなかったため、自分は無敵の人類なんじゃないかと勘違いしていましたが、単なる周回遅れでした。
軽症だったこともあり、人生初コロナによる自宅待機を満喫できましたが、予想外だったのが味覚障害の発症です。
(ああ、これが噂に聞くコロナの後遺症化か)と最初は好奇心をそそられ、味覚がない状態を味わう(韻を踏んでいます)余裕があったのですが、数週間続くとさすがに不安になります。
味覚のない人生がいかに味気ない(また、韻を踏んでしまいました)かがわかりました。

味覚は5つつあり、舌が強く感じる順番に、苦味>酸味>甘味>辛味>旨味と言われています。
私の場合、一番強く感じるはずの苦味と次の酸味が感じられず、大雑把に甘いか辛いかだけの状態になりました。
顆粒状の苦い薬を飲む分には、苦味が感じないことのメリットもありますが、どんな食材でも5つつの味覚のバランスが大事なんですね。
甘いか辛いかだけでは、何を食べても物足りません。
微妙な苦味や酸味も混じった、味のグラジュエーション(わざとボケてますよ)が大事なんです。

最近「薬屋のひとりごと」という後宮の毒見役を主人公にしたアニメにはまっていますが、人間の舌が苦味に対して一番敏感なのは、毒に対する警戒からきているようです。
コロナで苦味が感じられなくなるのは、毒が入り込みやすいような環境を作ろうとするウィルスの悪だくみなんじゃないかと言うのが私の説です。

もともと味覚に敏感な方ではありません。
日頃から大雑把に5つつの味を感じているだけなので、時折妻から「今日の味噌汁の味がいつもと違っているのがわかるか?」などと質問され、答えに窮することが頻繁にあります。
正直に「よくわからない」などと答えようものなら「あっ、そう!」と不機嫌な顔をされることがあります。
ウソでも「だし汁変えた?」などと適当に話しを合わせなければならないのでしょうか。
夫婦生活においては、誠実さがむしろ仇になることがあります。

「まだ、全部の味を識別できないんだよね」などと、後遺症が続く間は言い訳できますが、この手もいずれ使えなくなります(ならないとむしろ困ります)。
妻としては「美味しんぼ」にでてくるような食通同士の会話を楽しみたいのでしょうが、だし汁の銘柄を変えたぐらいでは、コロナの影響がなかったとしても、私の鈍感な舌ではわかるはずがありません。

味覚は、年齢とともに変化することもあるし、同じ味に飽きることもあります。
子どもの頃、鯨の肉はご馳走の一つでしたが、商業捕鯨が再開され久しぶりに食べてみると、あれ?こんな味だったっけ、と物足りなく感じてしまいます。
この程度だったら捕鯨に反対しようかなどと、不謹慎なことも考えてしまいます。
学生の頃、地元にモスバーガーがなかったので、上京して初めて食べた時は、この世にこんな美味しい食べ物があるのかと痛く感動しました。
今は食べ飽きた感がありますが、自分の味覚が変化したのか?モスの味が変化したのか?モスに飽きたのか?ハッキリしないのも味覚の不思議ですね。

お客さんとの会食で地域の名店に連れていっていただき「いかがですか、今日の料理は」などと、ドヤ顔で迫られると緊張してしまいます。
妻に対して正直に答えるのとはわけが違いますもんね。
おまけに最近は、食レポのセンスも要求される時代なので、心から美味しいと思っていても、その美味しさを上手く伝えるスキルが求められそうで、ちょっとストレスです(考え過ぎでしょうか?)。
「白子が喉を通り過ぎる時の、つるんとした食感とポン酢の刺激が○△%$…」などと訳の分からないことを口走っても、怪訝な顔をされるだけです。
会食して家に帰ってくると、妻や娘からは「イイね、いつも美味しいいものを食べられて」など冷やかされますますが、元来人見知りなので、食事の最中も頭をフル回転させながら会話のネタを考えていると、緊張で何を食べたか覚えていないことがほとんどです。
美味しいか不味いかコメントする以前の問題ですね。

コロナの後遺症で苦しんでいても、妻は一向に攻撃の手を緩めません。
「今朝の牛乳は、いつもと味が違っているのだが、わかるか?」と問い詰められますが、正直に分からないと答えるとやはり不満そうです。
どうやら、日頃愛飲している成分未調整牛乳ではなく、成分調整牛乳だったらしいのですが、一般市民の皆なさんも、そんなマニアックな違いを識別しながら暮らしているのでしょうか。

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