皆がモデルナを敬遠しているのなら、
オレが率先して打ってやろうじゃないか、と無駄な男気を発揮した結果、
“悪寒発熱頭痛”といった、市役所から配布されたパンフレットの見本みたいな副反応に苦しみ、
15時間死んだように眠っていたイダログです。
感染症という典型的な「予期せぬ出来事」から、強引に話を繋いでいきますが、
表題に掲げた英語は、「計画された偶然」とか「計画的偶発性理論」などどと訳されている、
比較的新しいジョブ理論のことです。
予期せぬ出来事により与えれた状況であっても、常に最善を尽くし、
そこで次のチャンスをみつける姿勢で臨む方が、キャリアアップにつながる、
っていう考え方がプランド・ハップンスタンスです。
“これだけは譲れない”っていう、キャリアアンカーに拘る考え方とは対極をなしていますが、
要は、偶然に対してポジティブ、かつ柔軟な姿勢で臨みましょう、っていうことです。
子どもの頃から、さしたる夢や目的もなく生きてきましたので、
意識高い系の人が夢を語る場面に遭遇すると、へぇー、スゴイね、
とか曖昧な相槌しか打てないことに後ろめたさを感じながら生きてきましたが、
行き当たりばったりで生きてきても、結果オーライならいいんじゃないの、
っていうおおらかさが、プランド・ハップンスタンスからは感じられます。
(行き当たりばったりと、結果オーライって、相性が良さそうです)
ダンゴムシ程度の自己肯定感(ダンゴムシに確認したわけではありません)しか持てずに生きてきた私にとっては、
ともて励みになる考え方です。
オトナになると、やたら”計画”って言う言葉に悩まされるようになりますが、
計画についても同じことが言えそうです。
感染症が拡大したり、侵略戦争が起こるような世の中、2年も3年も先の計画なんて願望でしかありません。
(計画って、立てただけで達成したような気になるから不思議です)
昔読んだ本に書かれていた、「計画は悲観的に、実行は楽観的に」という言葉に、
若い頃は痛く感動したんですが、
今や、どこを見まわしても悲観的一色なので、計画の行きつく先には、
人類の滅亡しか見えてきません。
だったら、もう少し肩の力を抜いて、ハッキリ見渡せる範囲で、しっかり足元を固め、
“飛び石渡り”みたいに次の石を見つけて先に進めば良いんじゃないでしょうか。
(「イカゲーム」と違って、間違って踏み外しても、多少のやり直しはききますよ)
マイホームが欲しくてたまらない娘婿君も計画づくりに励んでいますが、
あまりに緻密過ぎて、見事に悲観的な結論しか導き出せていません。
家中の領収書を一手に引き受け、自分で家計簿を記帳し、将来の収支をシミュレーションしてるんですが、
まだ3歳にもなっていない、”さ行”と”た行”が同じ発音になってしまう程度の息子の将来の偏差値を予測し、
入学できる大学の学費まで計算しようとする念の入れようです。
あまりにも選択肢が広がりすぎ、結局、ローン破産する計画しか作れず頭を抱えていますが、
「計画は悲観的に」を忠実に再現している点は見事です。
そうかと思うと、マイホームを買った時の駅までの交通手段に悩んだりして、
緻密なんだか、余計なことまで考えすぎなんだか、訳がわかりません。
そんな彼には、人生で一番大事なルールを教えてあげようと思っています。
「婿君、実はみんな、最後は死んじゃうらしいよ」