小学生だった頃の娘や息子に対し、ちゃんと勉強を教えてあげた記憶がありません。ほぼ放任状態でした。
そのせいでしょうか、健全に育ってはくれたものの、アラフォーに足を踏み入れる年齢になった娘は、未だにハイキューの推し活をやめようとしません。
「ねえ、夏アニメ、何見てる?『天幕のジャードゥーガル』とかお薦めよ」が最近娘と交わした会話です。
およそ、アラフォーに足を踏み入れた娘と前期高齢者の父親の会話とは思えません。
昨年結婚した息子夫婦も、余暇の過ごし方と言えば、仲間を集めてカードゲームに興じる有様ですので、こちらも人としての大事な部分が小学生で停止しています。
そんな実子たちへの反省も踏まえ、小学1年生の孫クンへの教育に余念がない妻です。
朝活と称し、7時過ぎには我が家の呼び鈴をならす孫クンですが、出勤の準備をする私の耳には、今朝も妻のスパルタ指導の声が聞こえてきます。
「何度教えたらわかるんですか!この漢字は、上が短く、下は長くでしょう!」と怒声を浴びせながら、漢字の書き方を教えています。
40年以上、パートで幼稚園の先生を続けている妻なので、気持ちが入るとついロッテンマイヤー先生に豹変してしまいます。
もちろん、褒めながら伸ばすことも忘れてませんが、時折「この漢字すごく上手ねぇ。じーこ(=私)より上手よ💛」などと、生まれつき”字が不自由(?)”な私を引合に出して孫クンのやる気を引き出そうとしています。
どうやら私を、それ以上落ちてはいけない、最低限の基準として引合に出しているようですが、そんな教え方は間違っています。
確かに私は、基本をちゃんと勉強しなかった報いで、漢字の”はね”や”はらい”などは、いまだによくわかっていません。
“ソ”と”ン”の違いや、”ツ”と”シ”の違いに迷うこともあります(ふつう迷わんやろ!)。
数字の”8”もうまく書けないことがあるのですが、これって書き順が複数あるそうじゃないですか。
どうしたら上手に書けるか悩んでいる人が、結構大勢いるっていう証拠ですよ。
妻は、私の悪筆をバカにするくせに、小学1年生の孫クンからの素朴な質問に答えられない時だけ、助けを求めてきます。
「『ドアが開く』と『ドアを開ける』の違いを説明しておいて」などと丸投げされると、あらためて日本語の難しさを痛感します。
所謂、自動詞と他動詞の違いなのですが、そんなの違いを意識しながら60年以上生きてきたわけではないので、小学1年生にもわかるように説明せよ、と言われても困ります。
動作の対象を必要とする動詞が他動詞,動作の対象を必要としない動詞が自動詞です。
という解説が見られますが、これじゃあ余計わかりませんよね。
“日にち”の呼び方も、あらためて理由を考えだすと、答えに窮してしまいます。
憶えるしかないよ、と突き放してはダメでしょうか。
ついたち、ふつか、みっか、よっか、などなど、20日に至っては、どっから”はつか”がでてきたの?
ついたちは、朔(つきたち)と言う、陰暦由来の、月の始めを表す言葉から来てるらしいのです。
“よくわからない”が、またあらたな”よくわからない”を生みだし、無限に繁殖していくようで、眩暈がします。
はつかは、”ふた(二)”プラス”とう(十)”が、 →ふつか →はつか、と変化した結果らしいのですが、アメリカ人がロバートのことをボブって呼ぶのと同じぐらい、無理があるような気がします。
“弟”は、何故”おとーと”と発音するのに、書く時は”おとうと”じゃダメなの?って聞かれても困ります。
カメラや精密機器の「キヤノン」のことを、ずっと”きやのん”だと思い込んでいたイダログですが、発音する時は”きゃのん(ゃは小文字)”なんですって(ちょっと違った意味でのトリビアでした)
漢字は表意文字だけど、平仮名とカタカナは表音文字だし、三つの文字が入り混じっている日本語って本当に難しい。
ひらがなとカタカナは、ほぼ同時期の平安時代に生まれたそうですが、カタカナは日本語なのに外国語っぽくて、最近できたばかりの文字のような気がしてしまいます。
こんな難しい言葉を話せるようになったのに、なぜ英語に関しては、何年勉強しても話せないのでしょうか。
犬は一匹なのに、なぜか兎は一羽。タコやイカは、一杯(このくらい、ドヤ顔で答えられます)、と思いきや、泳いでいる状態では一匹、切り身になると一枚なんだそうです。
「お皿を数える時は、何と言うの?」との質問に、「一皿、二皿」と真顔で答える孫クンです。
孫クン、それは、回転寿司で、お勘定する時の数え方だよ💛
