打ち上げ花火、どこから見るか?

「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」と言う岩井俊二氏の映画、正確にはTVスペシャルの名作がありましたが、花火は、横から見たら平べったく見えるのかな?という疑問は、誰しも思い浮かべそうです。
映画がヒットした30年ほど前、上下左右どこから見ても同じに見えることが判明してしまい、ガッカリしたことを覚えています。

私にとっての花火大会は、下から見るか?横から見るか?に、遠くから見るよ、が加わります。
そもそもインドア派なので、花火の美しさぐらいでは、汗がダラダラ、人がうじゃうじゃ、蚊がブンブン、のハードルは越えられません。
東京に住んでいた頃は、たまたま海抜の高いところにある社宅に住んでいたため、窓からは神宮外苑の花火が、外廊下からは豊島園の花火や、それ以外の小規模な打ち上げ花火も見える環境にありましたからなおさらです。
遠くのビル群を背景にした音のない花火は、打ち上げ花火ならぬ、手持ち花火みたいで、風情があるんですよ。

日本の花火は海外と比べると多彩で、7色の炎色反応を使って色の変化を表現することができるそうですが、赤緑色弱のイダログは、青とそれ以外程度のざっくりとした区別しかつきません。
7色ちゃんと見分けられたら、皆と同じように、汗ダラダラ、人がうじゃうじゃ、蚊がブンブンをものともせず、花火の本当の美しさが理解できていたのかもしれません。
っていうか、最近の花火は、多彩は炎色だけにとどまらず、ハート形とか土星形とか凝った形を描くこともできますね。
そんな種類の花火だと、見る場所によっては平べったく見えるんだろうなと想像がつきます。

東京から転居した後も花火大会へのスタンスは変わりません。
田舎町とは言え、九州屈指の花火大会が開催されているもかかわらず、相変わらず花火大会には出かけたことがありません。
今住んでいる家も、2階の窓から町内の花火大会が見られます。
町内なのでさすがに音も聞こえ、大輪を目の当たりにできるため、下から見るか?横から見るか?遠くから見るよ、に窓から見るよ、が最近の夏の定番になっていました。

ところが、この町内花火大会と言うのがなかなかの曲者で、かつては日本最大の連隊が駐屯していた自衛隊の基地が主催しているので、普段は簡単に足を踏み入れることができない秘密の場所に入れるという、この町ならではのインセンティブが花火の特典としてついてきます。
夜は焼き鳥屋だけが自衛隊員で賑わっていますが、昼間は寂れた町内のどこに、こんなに大勢の民間人が暮らしているんだろう、って思うぐらい基地内には町民が集まってきます。

妻も私同様、汗ダラダラ、人がうじゃうじゃ、蚊がブンブン、が嫌いな人なので「たまには花火でも見に行こうか」と誘っても、これまでは興味を示さなかったんですが、今年に限って「7月20日は、夜の8時から花火大会に行くからね」と、お誘いならぬ、出撃命令(自衛隊にちなんでます)が下りました。
妻の翻意の理由はあきらかです。
人生初の花火大会に参戦する孫クンからの誘いがあったからです。
孫から誘われたぐらいで、長年のポリシーを捨てるのか?と問いたいところですが、花火が散る、いや、火花が散るのが怖くて「やったー、花火!花火!」などと、とりあえず5歳児のようにはしゃいで見せるイダログです。

「今の花火、何色に見えた」などと赤緑色弱を妻にからかわれながらも、きっと、皆には違う世界が見えているんだろうな、などと思いながら孫クンの様子を窺うと、「恐竜たちも、きっとこんな風に絶命したのだ!」などと、遠い古代に思いを馳せていましたので、彼にもまた皆とは違う世界が見えていたようです。

いやいや、恐竜の絶滅は、巨大隕石が一つ落ちてきただけなので、打ち上げ花火のように火の玉が地上に降り注いだわけじゃないんだよ。

人生初の花火を経験した孫クンでしたが、恐竜が絶滅した原因を確かめただけで満足し、始まってからものの10分もたたないうちに飽きてしまい、興味はすでに露店に移っています。
基地内なので当然、テキヤさんたちが運営しているわけではありません。
大勢の”やすこ”さんが、忙しく立ち回ってます。

孫クンが露店のくじ引きで引き当てたのは、なんとおもちゃのアサルトライフル。
本人は「オレの銃だ!」と興奮状態でしたが、自衛隊でいただいた景品がアサルトライフルって言うのも、なんとなく意味深です。
今からこんな小さな子どもの心を掴んでおきたいという、陸上自衛隊の遠大な作戦を感じずにはいられません。

ところがこのアサルトライフル、家に持って帰って遊んでいたら、1時間もしないうちに壊れてしまいました。
出撃した途端、頼りの武器が故障するという不運に、天国から地獄に突き落とされ咽び泣く孫クンでしたので、自衛隊の作戦も失敗に終わったようです。

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