「声が通らない」(新保信長/著)という本の書評を目にしました。
書籍になるぐらい需要があるということは、
世の中には、自分と同じようなコンプレックスを抱えている人が
結構いるっていうことなんですね。
作者は、居酒屋で店員さんに気づいてもらえない、というコンプレックスから、
「あるあるネタ」にとどまらず、原因究明と解決策を模索したりしながら、
一冊の本を完成させたようです。
書評を書いている人も同じような悩みを抱えていて、
飲食店に入った時、速攻で注文を決め、
水を運んできたきた時に注文する、といった対策をとっているそうですが、
まさに、”オレもオレも”です。
私の場合は、座ったことに気づいてもらえないことも警戒し、
店に入るタイミングにも気を遣います。
誰かが入っていくときに、同時に入ると気づいてもらえないじゃないかとか思い、
ちょっと時間差で入っていくとか、特殊工作員みたいな気の配り方をしています。
ところが飲食店では、雑用係(新人)と注文係(ベテラン)に枠割分担されていることが多く、
ヘタに速攻で新人に注文すると、かえって忘れられることがあり、
そうなるともう手の打ちようがありません。
複数名で飲食店に入る場合、通路側と壁側だと、できるだけ壁側は避けるようにします。
壁側だと、なんとなく店員さんを呼ばなきゃならないポジションみたいじゃないですか。
通路側だと、背中をむけてるんだから、気づいてもらえなくても仕方ないよね、
とうまく自分に言い訳できるわけです。
それが、我々のような”声が通らない”種族の宿命なんです。
この本の作者は、問題解決のためボイストレーニングに勤しんだりしますが、
私の年齢では手遅れ感がありますから、
ひたすら上述したような対処療法で乗り切るようにしてます。
TV会議システムも、昔のヤツだとなかなか声を拾ってくれなかったような気がします。
適応する周波数から除外されてるんじゃないか、と思ったほどです。
電話を通して虫の音(周波数)は伝えられないそうなので、
私の声も、虫とか地球外生命体が使う周波数なのかもしれません。
欧米だと、声をあげて店員さんを呼ぶのはマナー違反ですから、
そっちの方が自分には向いていそうですが、
声が通らない上に存在感が薄いという二重苦を背負ってますから、
結局同じことになるのかもしれません。
最近の出張は、コロナ過もあり一人飯がほとんどですが。
ファミレスや牛丼チェーンは、
呼び出しブザーがあるから無用な緊張感を味わわずに助かってます。