ボクからオレへ、オレからボクへ

最近、5歳の孫クンが乱暴な言葉を使うようになりました。
孫クンに限ったことではなく、息子の成長過程でも同じような経験をしましたが、子どもたちはある時期を境に、一人称を”ボク”から突然、”オレ”に切り替えるタイミングがあります。

日頃お外遊びをともにしている幼稚園年中組不良グループの影響が大きいのですが、テレビからも少なからず影響を受けているようです。
「ゴミを漁っているカラスを見つけたら、オレがぶっ飛ばしてやる!」と、明らかに(ワンピースの)ルフィの口調です。
ママの姿が見えなくなると、とたんに泣きそうになる相変わらずのへなちょこぶりなんですが、口調だけは立派な海賊です。
大人びた口調も時には可愛らしくもありますが、度が過ぎると耳障りなので、ちゃんとした言葉で話しないさい!と時折注意してやると、とたんに幼い口調に逆戻りし「ボクねぇ、大きくなったら恐竜になるんだ…、ゼッ…」などと、セリフの切り替えができず、混乱していることがあります。

孫クンのボクからオレへの変化は、まだ板についていませんが、やがて正真正銘の「俺」になってしまう姿を想像すると残念にも感じます。
ちなみにオレの語源は、オノレ(二人称)からきているそうです。
“I”と”You”だけで済んでしまうと悩まなくていいんでしょうが、人称の使い方を変えるだけで、違う世界が現れるから日本語は面白いですね、

さて、私もあと数年で高齢者の定義にあてはまる年齢になってきました。

日頃、テレビはあまり見ないんですが、NHKの「ドキュメント72時間」は欠かさず見ています。
あの番組内でインタビューされた人は、印刷業〇〇歳とか、看護士〇〇歳とか、年齢までテロップで表示されるので、自分と比較して、○○歳の人が画面にどう映るかが気になります。

ちなみに、(多分)やらせなしのドキュメンタリーなので、一般人の中に、時折有名人が紛れ込んでいることがあります。
誰が見ても明らかに特定できる有名人なのに、元ボクサー〇〇歳とか俳優〇〇歳とか、有名人であっても容赦なく一般人として扱われます。
ある時、元極道系コメンテーターの竹垣悟氏が、飼育している鳩の話で取材中のスタッフに話しかけてきた回があり、NHKはどう対処するんだろうと思っていたら、NPO法人代表〇〇歳とさりげなく表示されていました。
確かに更生を支援するNPO法人なのでそのとおりなんです。
そんなマニアックな小ネタを発見できるのもこの番組の魅力です。

話を戻しますが、私は年齢だけで言うとジョージ・クルーニーと同級生なので、妄想の中ではクルーニーになりきっていて、まだまだイケてると自分に言い聞かせているんですが、テレビに映る同じ年齢の人は、えらくと年上のジイサンにしか見えないことがほとんどです。
妻から「アンタも周りの人からは、あんな風にジジイに見えているのよ」などと傷口に塩を塗るような残酷な言葉を投げかけられると、自分でも薄々クルーニーでないことぐらいは自覚しているんですが、あらためて恐れおののいてしまいます。

などという年寄りネタを話したかったわけではなくて、そろそろいい歳になってきたので、オシャレな高齢者を目指そうかなどどと思ったときに、”オレ”はないよな、と思うんですがいかがでしょうか。

会社員としての日常では、”ワタシ”で数十年過ごしてきましたので、”オレ”を使うのは、内々で話すときだけなんですが、心の中での一人称は”オレ”なんです。
ジイサンになっても心は5歳児のまま、海賊のままなんです。
私と同じぐらいの世代の人だったら、皆さん同じような一人称の使い方をしてきたんじゃないでしょうか。

“自分”っていう一人称が使えないかなと思ったこともあったんですが、高倉健さんや渡哲也さんじゃないとサマにならないみたいです。
「ボス、この事件は”自分”にまかせてください!」みたいな。
“イダログ(名前のつもりです)”だと、「矢沢、それ違うと思うな」になっちゃって、それなりに重荷を背負ってきた人じゃないと、安易に使っちゃいけない気がします。

で、そろそろ”ボク”を使ってみようかな、と思っているんですが、これがなかなか口をついてでてこないんです。
よっぽどカッコいいジイサンが、さり気なく使わないと、イヤらしく聞こえてしまいそうです。
私の場合、”ボク”って口にした途端、コナン君みたいに体が縮んでしまい「ボク、蘭ねえちゃんがいないと心細いよ~」などと、小学生に戻ってしまう自分を想像し、どうしても”ボク”と言いう言葉がでてこないんです。

「いいか、ジーコ(=イダログ)、オマエはティラノザウルスをぶっとばせ!オレはモササウルスをやっつける」
「ハイ、隊長、”ボク”に任せて下さい!」と、孫クンとの恐竜ごっこでだったら、”ボク”が抵抗なく使えるんですけどね。

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