代表性バイアス(再掲)

今に始まったことではありませんが、”威厳がない”という特技を持っています。

時節柄、挨拶や面接が重なり、且つマスク着用での面談のため、
以前にも増してそのように感じられます。

新卒面接の進行役が「向かって中央左側が、村長のイダログです」と紹介すると、
明らかに学生の目が泳いでいるのがわかります(被害妄想でしょうか?)。

(え?一番偉いヤツは誰だ?髪の毛の量で判断した方がいいんじゃないか?)
と頭の中で葛藤しているため、明らかに目に動揺の色が浮かびます。

同じく初対面の客との面談で応接に入っていくと、
部下が先に挨拶されそうになることがよくありました。

そんなことは気にしない人間のように見られがちですが、
ガラスのハートのためやや傷つきます。

人は一度”あるべき姿”を思い描いてしまうと、新たな情報がもたらされた後も、
その”あるべき姿”から逃れられなくなる現象を代表性バイアスと呼びます。

私自身管理職になりたてのころ、官公庁からの来客で失敗したことがあります。
キャリア組の上司である若い女性より先に、
外見が偉そうなノンキャリアのおじさんに最初に名刺を渡してしまい、
冷や汗をかきました。

また、多くの調査結果が「身長が高いと年収が高い」とか、
「トップリーダーの平均身長は、一般人のそれと比べると10センチ近く高い」
と述べています。
これも体格の良い人がリーダーに相応しいという思い込みからきています。

最近は孫正義さんや前澤友作さんのように背が低い起業家も増えてきており、
特にIT系では代表性バイアスが当てはまらなくなってきているように思われます。
誰か、IT業界における身長と成功の相関関係を研究してみたら面白いんじゃないでしょうか。

また、時計を見たとき、ゾロ目の数字が良く目につくことがありますよね。
これも代表性バイアスの現象で、超能力や不吉な前兆ではないそうです。

ゾロ目以外の数字は、何度見ても心に残らず、ゾロ目の数字だけが印象に残ってしまう、
というだけの理由らしいです。
ちなみに、私は22:22によく出くわすため、何かの”お告げ”かと思っていました。

ところで、最近テレビに映るオジサン達の大半が自分より年下になってきましたが、
未だに自分が周囲の人より年上だという実感がありません。

それが威厳を醸し出さない原因かもしれません。
かと言って、むやみに覇気をまき散らしても周りが迷惑するだけですよね。

そのためか、混んだ電車で座っている時も落ち着きません。

「若僧がなに座っとんじゃ!立たんかい、コラ!」
と怒られやしないかと思うと居心地が悪いんです。
(ガラが悪い人は関西弁でしゃべるという思い込みも代表性バイアスです)

65歳ぐらいになって、堂々とシルバーシートに座れる日を楽しみしていますが、
それでも「若僧がなに座っとんじゃ!立たんかい、コラ!」と怒られたら、
キレる老人になって暴れてやろうかと思っています。

話が、代表性バイアスからズレてしまいました。

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