人体の不思議

胆嚢の手術で入院していた友人が先日無事退院したんですが、幸い悪い病気ではなかったため、本人も早々にネタにしたかったらしく、早速、退院祝いの飲み会を開きました。

「念のため、胆嚢自体をとってしまった方が安心ですよ」との医者からの勧めがあったらしく、臓器を取り除くなどという穏やかでない話を聞くと、同年代のジジイとしては、一応自分の身に置き換えて心配しなければならず、ネットであれこれ検索してみました。

結論としては、胆嚢は切除しても問題のない臓器らしく、切除してしばらくは調子が悪くても、やがて慣れてくるから問題ない、などと解説されていて、人体にとってはそれほど大問題ではなさそうです。

友人は、切除するか、しばらく様子を見るか、医者から判断を委ねられたらしいんですが、最近は、臓器を取ってしまう大ごとでも腹腔鏡手術で済むらしく、「他の医者は、お腹に3つ穴を開けるんですが、私は1つ開けるだけで手術できるんですよ」とドヤ顔で言われたのが決め手になり、友人も結局切除を選択したらしいんです。

話が脇道に逸れますが、医者から判断を求められた時って、如何反応すべきなんでしょうか。

私も、以前皮膚科でイボを取った時「ハサミでチョッキンしますか、液体窒素でポロっと落としますか」と聞かれ、どう考えてもチョッキンは怖いし、液体窒素だったら、T-1000(ターミネーター2のヴィランですね)が、バラバラになった時みたいに、自然にポロっと落ちそうな気がしますよね。

数日前、ドライアイの診断を受けた娘が医者に聞かれたのが、「一日2回点眼するだけで済む強力な薬にするか?それとも、強くないが一日4回点眼が必要な薬にするか?」だったそうですが、患者にどう判断しろって言うんでしょう。
結局「一日2回点眼」を選択したところ「その代わり、一日2回以上は、絶対!点眼しないで下さい」
などと脅かされる始末で、娘は毎日ビビりながら点眼してます。

話しを戻します。

胆嚢は、肝臓が作った胆汁を一時的に貯めておいて、食事の都度、胆汁を送り出して消化を助ける働きをしてるんですが、原始時代とは違い、規則的な食事がとれる現代人にとっては、必ずしも胆汁を溜めておく必要がないらしく胆嚢が無くなって調整が効かなくなっても、やがて体が慣れてくるから問題ないらしんです。

一旦、原始人用に設計してしまった人体は、今更修正が効かないんでしょうね。

そんな雑な扱いの臓器だから、お医者さんとしては、取り合えず切らずにはいられなくなるんでしょうね。
オレは、穴一つで取ったとか、穴二つで取ったとか、飲みながら自慢し合ってる姿が浮かんでくるんですが、考え過ぎでしょうか。

原始時代から備わっていた臓器を取っちゃったら、実は性格が豹変しました、なんてことにならなきゃ良いんですが。

ついでに言うと、腎臓が二つあるのも解せないんですが、体内の構造上の問題、所謂バランスみたいな問題で左右対称に二つ配置されているようです。
そう言えば、肺も二つですから、体の中の”スペーサー”みたいなものでしょうか。

じゃあ、心臓も二つあれば便利なんじゃない?って疑問が沸いてきますが、どの臓器も、一つであれ二つであれ、いくつかの区画に分かれていて、必ずしも一塊で機能を果たしているわけじゃなく、区画ごとに機能が分かれているみたいなんです。

しかも、通常は本来のキャパの20%~30%しか使用されておらず、残りの70%が、もしもの時の予備になっているそうですから、予備率数%で大騒ぎしている電力会社とは違い、私たちの体は、うまいこと設計されてるんです。

ところで、ジジイになってくると、耳毛や眉毛がやたら伸びてきます。
体が衰えているのに、耳や眉が悪あがきして、生命力が活発になってるからかな、などど勝手に思い込んでいたんですが、実際は、若い頃は毛周期が短く、短期間で生えかわっていたものが、歳をとると毛が生え変わる代わりに、毛周期が長くなるから一本一本が長くなるっていう、結局は老化現象なんだそうです。

人体って不思議で、しかも、うまくできてるんです。

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