レフティー

先日、箸にまつわる記事を書きましたが、3歳の孫は、最近「はじめてのかんたんおはし」(幼児用のサポートリングがついてるやつ)で”おはしデビュー”へ向けた練習を始めました。

嫌がることもなく、ミニチュアの恐竜をはしでつまんではボールに移し替え、恐竜の”盛り合わせ”をつくって喜んでいます。

箸は、左手用です。

レフティーの反意語は、ライティーみたいですが、普通は使わないようなので、英語圏は、右利き”ありき”の文化なんでしょうね。

親族の中で左利きは妻だけなので、遺伝子コードの一部が引き継がれたんでしょうか。
妻が子どもの頃は、今よりも左利きへの風当たりが強く、無理やり右利きに矯正されそうになったそうです。
妻がよく右と左を言い間違えるのは、矯正の時のトラウマが影響しているのではないか、って言うのが私の説です。
妻は別の理由を挙げて反論しますが、長くなるので今回はやめます。

20代の頃、妻とうどんを食べていると、私たちの方をチラ見していた、少し離れた席の三人のジジイから、「あんオナゴは、”ぎっちょ”バイ」(中野のうどん屋なのに、何故か九州の三バカジジイでした)
という遠慮のない言葉が聞こえてきたことがあります。

“ぎっちょ”の語源は「ひだりきよう(器用)」に由来しているという説もあり、決して悪いニュアンスだけではないんですが、当時はまだ日常会話の中でも使われていて、当時のジジイ(今は全員死んでいるはずです)の年代では、ネガティブな使われ方をしていました。

ちなみに、ツービート(もしかしたら、知らない人もいますか?)のネタに、「左利きのことをサウスポーって言うが、右利きのことは何て言うか知ってるか」と尋ね、「”右ぎっちょ”って言うんだ」って、たけしさんがボケるネタありましたが、今思い返すと、右利きにも左利きにも差別用語を使えば、一周回って平等になりますよね。

一方、1970年代には「わたしの彼は左きき」っていう歌も大ヒットしたので、70s~80sの頃が、”ぎっちょ”から左利きへの移行期だったのかもしれません。

洋楽ファンにとっては、左利きのギタリストはある種の憧れでした。
ジミ・ヘンドリックスとかカート・コバーン、ベースだとマッカートニーとかフィル・リノットがいますね。

ジミヘンは右利き用ギターの弦だけを張り替えて左手に持ち替えて弾いていたそうですし、コバーンは本来右利きなのに、カッコ良いからって言う理由だけで左利き用ギターを弾いていたそうです。
どっちも規格外の天才ですね。
ところが、さらにその上を行くのが、松崎しげるさんです。
右利き用ギターの弦を張り替えずに、そのまま左手に持ち替えて弾いていたそうですから、6弦が下に来てたって言うことです。天才のらせん構造、うな重の二段重ねですね(?)
こうなると、松崎しげるさんを超えるには、左利き用ギターの弦を張り替えず、そのまま右手に持ち替えて弾くしありません。
何言ってるかわかりますか?

ところで、「わたしの彼は左きき」の歌詞を読み返してみると、この詞の中の彼女は、左利きの彼に憧れ、自分の右利きを矯正しようとして頑張るんですが、上手く行かずに、♪意地悪♪意地悪、って歌ってるんです。
いじらしいというより、ただのバ〇ですが、当時の麻丘めぐみは超絶に可愛かったから問題なし。

長年左利きのパートナーと生活してきて気を付けている点は、カウンター席または並んで食事をする場面での並び方です。
ご想像のとおり、カウンターに向かって、私が左、妻が右に並ぶと、箸がぶつかって落ち着いて食べられないため、常に、妻が左、私が右に座ります。
この位置関係は一生崩せません。

今は、子どもたちも成長し、二人だけの食卓になっていますが、ダイニングテーブルの上のランチョンマットに、右利き用のカトラリーと左利き用のカトラリーを並べると、シンメトリーになります。
それはそれで不思議な調和を感じます。

孫も将来同じ感覚を味わうのかな、と思ったんですが、左利きの彼女を見つける可能性もゼロではありませんので、そうなったらそうなったで、また違ったネタがつくれそうで、今から楽しみです。

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